「幸福花?」
 三十分後、目をぱちくりとさせながら、エンヴィーはエドに聞き返していた。
「そー。まぁ花……ってか、草なんだがな」
 エンヴィーに背を向けたまま、彼は返事をする。
 実際、エドは何とかして山とも言える書類の束を片付けねばならなかった。とはいえ、エンヴィーと過ごせる時間をそれだけで済ますのも、また勿体無い。エンヴィーとて、放っておけば不機嫌にもなるだろうし、構って欲しい、と来られたら仕事がはかどらない。だから、とりあえず適当な、エンヴィーが好みそうな話をすることにしたのだ。
「持ってると幸運をもたらすっていう奴な。願いが叶うとも言うか」
 意外とエンヴィーはものを知らない。――おまけに、何だか少女趣味だったりもする。だからこういう話をすると目をらんらんと輝かせて聞き入ってくるのだ。扱いやすい、と言えば聞こえが悪いかも知れないが、事実エドからすれば対応のしやすさが目立っていた。
「ねぇねぇ、それってさ、手に入ったら嬉しい?」
「そりゃあな」
 滅多に手に入る物ではないし、やはり誰でも嬉しいのではないだろうか。栞にして大切に取っておく者もいるのだし。エドだって幼少の頃はアルやウィンリィと共に、草原の中を探し回ったものだ。見付けた時の喜びは計り知れなかった。みんなで日が暮れるまで探して、一人一つずつ手に入れて。気付けば泥だらけだった。
 目をまん丸にして「あらあら」と優しく微笑む母の顔を思い出して、少しばかり物思いに耽ってみる。あの頃に戻れたらな、なんて。
「まぁ、でも。俺は今お前と一緒にいられるってことが――」
 振り返りながら嬉しいけどな、と続けようとしてエドは全身を硬直させた。
「って、いねえし……!」
 つい先までいたはずの男の姿が、跡形もなく消えていたのだ。いつの間にいなくなったのか。まさか幸福花を探しに行ったのか。
 変な話をするんじゃなかった、とエドは少しばかり後悔した。そうだ、あの子供の様な大人は考えるよりもまず体が動くタイプなのだ。手に入ったら幸福になれる、だの願いが叶うだの言ったら欲しがるに決まっている。エドの同意を受ければ余計にそれは強くもなるだろう。
 頭が痛くなってきた。先程、気を付けようだなんて思ったことは既に頭にないのか、エドの眉間にはしっかりと深い皺が刻まれていた。多分、彼がいる限りエドのそれが溶解することはないのではないだろうか。
「行くなら行くで何か一言言っていくくらい出来ねぇのか、あいつは……」


 生まれてこの方、他人に対して何かをしたいだなんて思った経験、エンヴィーには数えるほどしかなかった。《お父様》の為にとか、ラストやグラトニーに対する感情とはまた、違う。ずっとずっと昔にほんの気まぐれで戦災孤児に食べ物を与えたのが最後の親切――というものだったのだろうか。何にせよ、それともまた違う、少し変わった感情。これが恋なのか、なんて馬鹿げたことを思いながらエンヴィーはエドの為に黙々と花を探していた。
 手に入ったら嬉しいと彼は言っていたから、早く見付けて、早く渡そうと思ったのだ。何も言わずに出てきてしまったからエドが怒っているかも、なんて考えがよぎらなかったでもないが、それでも喜ぶ顔が見たかった。
「……駄目だぁ……」
 言いながらエンヴィーはばさっと、草原の中に背中から倒れ込む。既に探し始めて三時間強――。そろそろ戻らなければ本当にエドの機嫌を損ねてしまう。むしろ既に損ねているか。彼はとても短気だから。いや、それよりも彼の弟が戻って来るのが早いかも知れない。そうなったら、いかに幸福花を見付けても手渡すことは不可能だ。エンヴィーが変身能力を行使すれば潜りこむことは可能だが、手渡すことはやはり難しい。他人の姿で渡した所でまた意味のないものになってしまう所であるし。
「ぜんっぜん見付かんない……」
 このまま無駄な時間を過ごすよりは、エドの傍にいる方が良いかも知れない。諦めようかなぁ……と、思った瞬間に、彼の脳裏には「何しに行ったんだよお前」と毒づくエドの姿が鮮明に浮かび上がった。まず、間違いなく言われる。また眉間に皺を寄せて、呆れた様な、怪訝そうな顔をしながら。
 ……駄目だ、見付けるまでは戻れない。
 そう、覚悟を決めた拍子だった。視界の隅にちらついた影。もしかして、もしかすると。
「……っ! あったぁ!」
 子供の様に声をあげて、エンヴィーは喜んでみせた。これまでいくら探しても見付からなかったというのに、こんなにも簡単に見付かるだなんて。灯台もと暗しとはよく言ったものだな、とひとりごちて彼はその花を摘んでいく。
 きっと、喜んでくれるだろう、とその姿を想像しながら。



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