エンヴィーは走っていた。
 闇の中を走って、走って、走った。息が止まる程。胸が張り裂けそうな程。
 どれだけ走ったのか。
 とにかくエドから離れたかった。近くにいたら駄目だと思ったから。
 壁に寄り掛かって息を整えながら、エンヴィーは重たい頭を働かせる。
 ――どうして苦しそうな顔をしてたかだって……?
 先の理由など勿論嘘に決まっている。本当の理由なんて言える訳が無かった。
 きみがあまりにも綺麗な顔で笑うから。
 きみがしてくれたことがあまりにも嬉しかったから。
 だから、だから。
 ――シグナルが鳴り響いてしまった。止まらない。もう止められない。そんなシグナルが。
 恋の始まり?
 好きになってしまった?
 自分で自分に問い掛けて、エンヴィーは深く溜息をついた。
 先程から鳴っているこの音は、恋の合図――
 違う、違わない、違うっ、違わない、絶対に違うっっ!
 壁を強く叩きながら否定と肯定を自分で繰り返す。汗が一筋流れた。
 エンヴィーがこんなに汗をかいているのは走ったからか。……それとも焦っているからか。
 だって、違わなかったら。違わなかったらどうすればいい?
 ボクと、あの子は敵同士で。いつか、いつか必ずどちらかが殺されるのに。
「好きになったって――」
 辛いだけじゃないか……っ。
 口に出そうとして、自身の嗚咽に阻まれる。目の奥が熱いのは、涙が溢れているから。
 止まらない。止められない。
 恋なんて馬鹿なことだ。ボク達はホムンクルス。好きになったって、幸せになんて決してならない。
 分かってたじゃないか。今まで一度だってしたことないじゃないか。
 ――止まらないのは涙。
 なのに何で……
「一番しちゃ駄目な奴になんだよぉ……っ」
 ――止められないのは響く音。
 ずるずると、壁にもたれながら蹲るエンヴィー。
 感情とは、時に自分では抑えきれないものだ。彼のそれは、間違いなく己の理性とはかけ離れていた。
 どんなに抑えようと扉を閉めても。いや、むしろ閉めれば閉める程、更に大きくなって、強い力で扉は開け放たれる。
 どうにもならない。
 どうしようも、ない。
「月が欲しいなんて言わなきゃよかった……」
 言わなければ、こんなシグナルは響かなかった。
「地上の月なら手に入るかもなんて思わなきゃよかった……」
 結局同じだ。天上の月も、地上の月も、近くにある様で、手を伸ばせば届きそうでいて絶対にそれはないのだ。
 むしろ触れられるからこそ、余計辛い。
「会いになんて来なきゃよかった……」
 研究所で会った時に覚えたのは単純な好意と興味。恋じゃない。
 それを恋にしてしまったのは、ここ数日の自分。
 さっきのことなんて、ただのきっかけだ。きっと遅かれ早かれ、シグナルは鳴った。
 いくら後悔の言葉を口に出しても、現実は変わらない。
 涙も、止まらない――


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